英語と無縁だった私の生活に、英語が少しずつ入り込んで来た話

英語とは、ずっと縁のない人生を送ってきた

興味もないし、使う予定もない。

勉強する気なんて、さらさらなかった。

そんな私の生活に、英語が少しずつ入り込んできたのは、

いったいいつからだったんだろう。

海外に行っても、英語は「他人事」だった

高校の卒業旅行で、初めてアメリカ・デトロイトに行った。

現地に住んでいる友達を頼っての滞在だったので、

せっかくの海外なのに、英語にはほとんど触れなかった。

次に英語に触れたのは、大学卒業後のグアム旅行。

体験ダイビングもセスナ操縦も説明は英語だったけれど、

正直、何を言っているのかほとんど分からなかった。

それでも一緒に行った子がなんとなくフォローしてくれたから、

特に困ることもなく過ごせてしまった。

「英語ができたらよかったのにな」

そう思ったのは、ほんの一瞬。

勉強しようという気持ちは、まったく芽生えなかった。

「わからない」が、少しずつ悔しさに変わっていく

変化を感じ始めたのは、ダンスを習っていた頃。

海外から来た先生がレッスンをしてくれることがあり、

説明は当然すべて英語だった。

日本語に訳してくれる人はいたけれど、

英語を直接理解できる人と、通訳を介して聞く人では、

理解の深さが違う気がした。

同じ日本語の説明でも、

100%受け取れる人もいれば、80%の人もいる。

120%まで突き詰めて考える人だっている。

それなら、違う言語ならなおさらだ。

「英語が分かれば、もっと吸収できたのかもしれない」

そう思ったことはあったけれど、

まだ行動に移すほどではなかった。

社会に出て、英語は「特別なもの」じゃなくなった

社会人になってしばらくすると、

外国の人を見ない日がなくなっていた。

コンビニの店員さん、道ですれ違う人。

「外国の人、本当に増えたよね」

そんな会話も当たり前になった。

当時は「だから何?」くらいにしか思っていなかったけれど、

今振り返ると、

違う言語で接客している彼らは、すごい人たちだったと思う。

友人が海外に転勤し、現地の人と結婚すると聞いたとき、

「英語、やっておけばよかったな」とは思った。

でも、それも行動にはつながらなかった。

「頼られる立場」で、初めて感じた悔しさ

転機になったのは、副業で働いていたラウンジでの出来事だった。

海外のお客様が来店し、

なぜか「学歴が一番ましだから」という理由で、私が対応することに。

もちろん、英語は話せない。

スマホの翻訳機能を使いながら、必死に対応した。

なんとかコミュニケーションは取れたけれど、

「もっとちゃんとできたんじゃないか」

「お客さん、楽しんでくれただろうか」

そんな思いが残った。

飲食店でも同じだった。

外国のお客様は増え続け、

英語ができないことで効率が悪くなり、

伝えきれない申し訳なさを感じる場面が増えていった。

「英語を学びたい」じゃなく、「困らなくなりたい」

そこで私は、

「お店で使う決まり文句だけでも英語で言えるようにしよう」

と思い立った。

よく使うフレーズを書き出し、翻訳し、

それが自然な表現か、日本語に戻して確認する。

英語ができるようになりたかったわけじゃない。

ただ、仕事をちゃんとしたかっただけだ。

それでも不安が消えず、

「いっそ英会話に行ったほうがいいのかな」と思い、

無料体験レッスンにも行ってみた。

結果は惨敗。

単語も出てこないし、何も分からない。

恥ずかしさと苦痛でいっぱいだった。

「こんなレベルで来る人いるの?」

そんなふうに思われている気がして、

続ける自信は持てなかった。

英語は、生活のあちこちに顔を出す

夜の仕事で、もうひとつ躓いたのがカラオケだった。

もともと歌える曲が少ない上に、

英語の歌詞がある曲は完全に避けていた。

でも、気づけば流行りの曲には英語が当たり前のように入っている。

日本人なのに、海外を意識して英語の歌を歌うグループも増えてきた。

正直、かっこいいと思った。

私は意味も分からないし、発音も分からない。

どうせ歌うなら、歌詞の意味も知りたい。

真似できそうにないけれど、興味だけは膨らんでいった。

さらに日常会話やニュースでは、

エビデンス、アジェンダ、コンセンサス。

カタカナ英語が当たり前に飛び交う。

よく分からない言葉が出てくるたび、

聞くのも恥ずかしくて、

小さな違和感が積み重なっていった。

気づいたら、英語ができないことで傷ついていた

英語を勉強しようとしていたわけじゃない。

それなのに、

悔しい

寂しい

申し訳ない

そんな気持ちを感じる場面が、

いつの間にか増えていた。

「今さら」じゃなく、「今から」でいいのかもしれない

決定打になったのは、後輩の一言だった。

「子どもが幼稚園で英語の手遊びを覚えてきてさ。

こっちが分からないんだよね」

幼児英語が当たり前の時代。

その子たちが大人になる未来を考えたとき、

私はこのままでいいんだろうかと思った。

もうすぐ弟にも子どもが生まれる。

その子の成長を見守る中で、

私はまた劣等感を感じるんだろうか。

英語がペラペラになりたいわけじゃない。

ただ、置いていかれたくない。

今の自分にできることを、少しだけやってみてもいいのかもしれない。

そう思い始めた頃、

私と英語との距離は、ようやく少しずつ変わり始めた。

私が一時期よく見ていたオリエンタルラジオのあっちゃんの動画でも言ってたな

「いつからでも何者にでもなれる」って

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